あの大津波からもうすぐ3年が経とうとしています。
あっという間の3年でした。
写真はのどかな風景などではありません。
向こう側は太平洋。
『一軒建っている家』は『一軒残っている家』です。
近づいて見れば、はっきりと津波の痕跡が……。
一枚目の写真の風景を背にすると、そこには学校が
ありました。もちろん今は使われていません。
この写真を撮ったのは、昨年の9月末の石巻の海岸。
私用で仙台に行ったので、ここまで来たら被災地の
様子をこの目で見なければ……と思いました。
何もない、がれき処理も済んで、本当に何もない。
さらに海岸から離れて町の中へ行ってみても、
津波によって破壊されたままの店舗が
ところどころで目につきました。
いつも歩いて買い物している場所が、自分の背丈を
はるかに超える深さにまで浸水するということ、
一体誰が想像出来たでしょう。
まだまだ復興には遠い現実、もう一度思い出して、
支援を持続していきましょう。
義援金の募金箱はうすいセンターに設置しています。
(平成26年3月末まで)
ところで、仙台に行った私用とは
←これでした。
楽しさとせつなさの両方を感じた
旅でした。
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I田 (月曜日, 10 3月 2014 22:33)
2年前の夏の3日間を思い出します。ボランティアグループ「つながる笑顔の輪」の仲間と、佐倉市社協の手引きで陸前高田市ヘ慰問に行きました。
真夏の空の下、奇跡の一本松と広大な荒野の中に点在する大きなガレキの山が我々を出迎えてくれました。
巨大な津波に、為すすべもなく蹂躙された街の姿を目の当たりにして、驚愕したのを思い出します。
学童クラブでは、民話・バルーンアート・唱歌の合唱などで児童と一緒に遊び、又仮設住宅の集会場で、被災者(主に高齢者)と歌の合唱や踊りを楽しむなど、3箇所の会場で計約170人の人々と交流してきました。
会場に集ってくる子供たちも大人も、皆一様に明るい顔に見えましたが、それだけに一人ひとりが悲惨な体験をし、大きな心の傷を負っていると思うと、活動しながらも胸に迫ってくるものがありました。
あれから1年半、復興は遅々としていて、少しも進んでいるようには見えません。あの時遊んだ子供達、集会場で津波の恐ろしさを語ってくれた人々、その後どうしているか・・・・・
被災者の方々の一日でも早い「心」と「郷土」の復興を願わずにはいられません。
そして我々は今何をなすべきか、一人ひとりが被災地とどう向き合うべきか、今一度真面目に考え直す時期に来ているのではないかと強く思います。
いちどん (月曜日, 10 3月 2014 23:51)
あの震災以降、防災への関心が高まり、近隣のつながりを強く意識するようになりましたが、それも徐々に薄れてきているように思えます。
明日(11日)から、国立歴史民族博物館(レキハク)で「歴史にみる震災」という企画展示がはじまります。
パンフレットに曰く、
「人は震災をどう生きたか……人々は震災を、それぞれの地域や時代において、そのように経験したのでしょうか。東日本大震災を経た今、その体験に思いを寄せながら、改めて震災の歴史を見つめなおしてみたいと思います」
「レキハク」は近くにありすぎて、いつでも行けるという感じで、あれっと思う間もなく企画展示が終了してしまうのですが、今度ばかりはふらっと行ってみたいと思っています。
学生番号26番 (火曜日, 11 3月 2014)
テレビで震災直後72時間になすべきことを見ました。
自分の中で薄れていく三年前。
あの時自分はどんな動きをしたか?
心を痛め、周りを見渡していたものの、やはり自分、家族の事のみで アクションを起こせなかった。起こさなかった。
もっと出来たはず、
もっとすべきだった。
後悔というより後ろめたさが残る。
ボランティアって何でしょう?